ハンデのある子が生まれる可能性

わたしの優先順位は「彼」よりもお腹にいる「子供」だ。そして、わたしはこの子に何があろうと産むつもりでいる。だから、彼がこの現状や将来に“懸念”を抱いているのであれば、わたしと一緒にいる必要はない。幸いわたし達はまだ入籍する前なんだし、ここで終わりとすればいいとおもう。

高齢での初産となるうえ、自分の体が病に侵されてるって現実を至極冷静に見つめなおせば、何かしら障害のある子どもが生まれたって不思議ではないことで、そもそもそうしたリスクも想定していたこと。それで実際“リスク”を目の前に突き付けられたところで、狼狽える必要もないことだ。

もし、彼がわたしの考えに同意したところでそれは本意ではないはず。それでハンデや障害のある子が産まれてしまった場合、わたしのなかには彼に対する罪悪感が絶対に産まれる。本意でないことを人にさせるのは気負いする。それならばどれだけ大変であっても一人でやるほうがずっと楽だ。

仮にハンデのある子が生まれ、その子を女手1つで育てていくのは想像を超える苦労があるかもしれないけど、その覚悟は持ってる。彼からは堕ろす堕ろさないの問題でなくとも『とにかく検査はしたほうが良い』と説得されているけど、わたしには検査しない理由はあってもする理由はない。

ハンデや障害がなく無事に生まれて来ててもいろんな意味で“おかしな人間”は世の中に腐るほどいる。だから、そんなくくりで人間を判断すること自体ナンセンスだし、ハンデや障害があるから“可哀想”なんてのは差別であり偏見でしかない。彼の考えを否定はしないけどわたしはそう思う。

子供に問題があることがわかって中絶した人を「悪い」とも思わない、それは個人が決めることだから。もし、いまコメント欄を開けていたらどんなコメントが来ていたのだろうか。きっと真面目な意見もあれば、面白半分の無責任な発言も多く寄せられて来ていたと思うから、閉じといて良かった。

『頑張れ!!』とわたしを応援してくれる人は、応援クリックで示してくれればいいとおもう。今この状況でわたしの考えに対する否定的な意見は、ただの雑音にしかならない。もうわたしのなかでは決まっていること。『子供は産んでわたしは一人で育てていく』、それが答え。今夜彼にその意思を告げる。

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