姑は無理な存在

言葉の通り、姑と二人きりの空間をこの先も続けていくのは無理。

だから以前から誘われていた仕事の面接に行ってきました。

私は元々、デザインの仕事をしてて組織](会社)という形態に馴染めずフリーになって

それなりにクライアントからの評価も頂いていたため、フリーになってもそこそこ仕事のオファーを貰ってて(やるやらないは別として)、気が向いたら引き受けるような感じで続けていました。

過去に一緒に仕事をしていた同僚が、今は独立し第一線で活躍してて以前から私のことを誘ってくれていたけど、いろんな人と関わり仕事を進めるのは肌に合わないし一人が気楽だと思い断り続けること二年チョイ。

今こうして夫が転勤でいなくなり姑の二人きりの時間が増えると

なんにしても家に居たくない…って気持がやたらと強くなったことが後押して誘いを受けることにしました。

このまま家に居て家事をやってるだけって環境も正直つらいです。

それなら、何か外に出て打ち込めることをやろうと考えたわけでして。

いろんな人と関わって仕事をするのは苦手だけど、姑と二人きりで家にいるよりはずっと良い。

私のことを評価してくれてることは単純に嬉しいし、私が必要だとずっと誘い続けてくれたんだし、自分の事情や都合もあるけどその気持ちに応えてみようと思った。

やるからには中途半端にはやらないし、恰好悪いことはできないから。

ただの暇つぶしとか今の環境から逃げたいってアホみたいな理由が全てではありません。

期待され引き受けるんだから、必ず応えようと。

もう若くはないし、子供だって欲しいし、望む環境は実現されてない

でも、それで悲観してても無意味だし時間の無駄。

やれることをやっていこう、女どうこうの前に生き物として生きるための活動

本当の『生活』をしていこうなんてちょっと生意気なことを思いエンジンがかかり始めてます。



何かを諦めることは悲しいことだけど、無い物ねだりの方がずっと悲惨。

せめて自分を支えるための生きる意味が欲しい。

自分は可哀想な人生を歩んでるとか、自分は大変な思いをしてるとか

そんなネガティブな感情は抱えたって何の足しにもならなくて自分を弱くするだけ。

誰だって、どこにだって、何をやるにしたって辛いことはあるし

自分なんかよりずっと辛い人は数えきれないほどいるはず。

こんな風にネットがつながる環境でブログなんか書いてる時点で、自分の生活なんて相当恵まれてると思う。

「生きられるのが当たり前」みたいな環境で生きていると、その感謝すら忘れるし隣の芝生はあおいとはよくいったもので、人と自分を比較して優越感やら劣等感を持つのも良くない。


そんなのはただの雑音でしょ?


自分は自分でしょ?


もっと自分に自信を持ちなさい!

そんな自己暗示をかける日々を経過してようやく立ち上がる気になってきました。

流産してからはふさぎこみ、絶望も味わったつもり。

だから何?

自分のおなかに宿った命を、無事に産むことができなかったことは相当悲しいけど
私はまだ生きてる。

生きてる限り、活動してる限り、可能性はゼロじゃない。

それが生活するってことなんだと、生きること、生きるためのマインドがようやく整った気がします。

姑は無理な存在だけど、私がこんな風な考えに進むよう後押ししてくれたのは姑でもある。

あるいみ感謝しなくてはならない、かなりムカツクけど。

皆さん!

前向きに生きていきましょうね!!